ケータイ辞書JLogosロゴ 小熊保(中世)


岐阜県>羽島市

 鎌倉期から見える保名。尾張国葉栗【はぐり】郡のうち。飛鳥井家領。古東海道美濃・尾張路の駅家が置かれた地で,「吾妻鑑」建久元年10月28日条に「小熊宿」とあるのが地名の初見。次いで建武3年6月日付の本間有佐軍忠状に「今年正月八日,於足近・小熊・高桑河原等,致合戦軍忠」と見える(本間文書)。室町期に入り,「尾州小熊保」は「飛鳥井亜相家領」となるが,康正2年に建仁寺祥雲院に売進され,長享年間に至り鷲見美作守が祥雲院より買得し将軍足利義尚から安堵の御教書を受けている(古今消息集)。一方,康正2年の「造内裏段銭並国役引付」には飛鳥井家領として竹鼻和郷とともに当保が見えるが,永正12年の「真如堂領諸国所々目録」に「尾張国竹鼻和并小熊本郷地頭職」があり,それは建長6年9月源氏上総介長氏二女の寄進によるものとされている(真正極楽寺文書)。その後天正17年11月14日豊臣秀吉は池田照正の老臣伊木忠次に5,000石を宛行ったが,その目録には「五百九拾石 小熊村三上方 之かしら共」とあり,当時すでに当地は美濃国のうちとなっていたと推定され,江戸期には美濃国羽栗郡東小熊・西小熊村が成立している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343302
最終更新日:2009-03-01




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