ケータイ辞書JLogosロゴ 小瀬ケ洞村(近世)


岐阜県>朝日村

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田【ました】郡阿多野【あだの】郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕末まで幕府領。村高は「元禄検地帳」は12石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では22石余。「後風土記」によれば家数27・人数128,産物は稗79石余・蕎麦1石余・麦7斗余・大豆4斗余・大繭4貫・小繭24貫・蕨粉4石余・猪1頭・山鳥3羽・キジ2羽など。産土神は加茂社。村の東方は中洞【なかぼら】へ1里余,西方は黒川へ1里,南方は黍生谷【きびうだに】村へ18町,北方は山,高山へは5里半。村内を信州街道(奥中山支道)が通り,秋神川には大輪【たいりん】橋が架かっていた。また道筋の権現峠は,東に乗鞍【のりくら】岳を望み,頂上に権現社をまつる。明治8年朝日村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343338
最終更新日:2009-03-01




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