ケータイ辞書JLogosロゴ 落合村(近世)


岐阜県>小坂町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田【ました】郡小坂郷のうち。枝村に下島・麦島がある。天正14年から金森氏領,元禄5年以降幕府領。「元禄検地帳」の村高21石余,「天保郷帳」では37石余。「国中案内」の家数46。「後風土記」によれば,家数53・人数321。産物は穀類のほか,大繭40貫目・小繭448貫目・真綿35把・生糸153把・紬2疋・シケ5貫目・楮50貫目・小白木160駄・串柿5束・生馬2・熊2・猪5・鹿6・羚羊2・山鳥20・雉5など。東は湯屋へ8町,西は赤沼田【あかんた】へ半里,南は川,北は西洞へ4里半,高山【たかやま】へは8里半。鎮守は富士神社。鎌倉末期の正和3年本願寺覚如の弟子願智房覚淳が真宗弘布のため飛騨に入り当地に道場を開創した。道場はのち聞名寺の末寺賢誓寺となるが(同寺は昭和3年萩原町宮田へ移転),正徳3年大谷派へ転じたため,本願寺派門徒は法脈の再興を願い出て安政5年西本願寺派福応寺を創建。また寛政3年尾張の行者覚明により御岳山登山道が開かれた。覚明所持の法具などは宮田の賢誓寺に現存する。明治8年小坂村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343345
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ