ケータイ辞書JLogosロゴ 柿内村(近世)


岐阜県>輪之内町

江戸期〜明治8年の村名美濃国安八【あんぱち】郡のうち揖斐【いび】川に大榑【おおぐれ】川が合流する福束【ふくづか】輪中の南端部に位置する中世,二木【ふたつぎ】荘のうち「吾妻鏡」に「建長6年11月5日熊野山本宮造営事就雑掌参訴有其沙汰旦彼社領美濃国垣富以下地頭等止色代可済現物之由被仰出之云々」とある垣富,また「分脈系譜」に見える美濃国垣富尼,垣富茂人重成は共に当地の人(新撰美濃志)はじめ海松【みる】村の枝村「正保郷帳」より独立村として見える尾張藩給人石黒善十郎知行地村高は「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に132石余当村には東西1町・南北4町ほどの萱草野があり,寛永年間大垣藩戸田左門がこの草野を借り受け鷹場とした宝暦年間の戸数32・人口124,馬3匹(濃陽志略)明治4年岐阜県に所属同5年村明細帳では村高244石余,戸数40余・人口215,馬8匹同8年海松【みる】村と合併,松内村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343461
最終更新日:2009-03-01




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