ケータイ辞書JLogosロゴ 柿田(近世)


岐阜県>可児市

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国可児【かに】郡のうち。明知【あけち】村が正保以降分村。尾張藩領。「天保郷帳」の村高602石余。江戸後期に東柿田【ひがしかきだ】村を分村したため,西柿田村とも称した。「旧高旧領」の柿田村の村高297石余,東柿田は304石余。寛政年間の西柿田村の戸数18・人口74,馬2匹。明治5年村明細帳の東・西柿田の戸数52・人口211。中山道御嵩【みたけ】宿の助郷村。中山道の道造り人足を出す。草野は瀬田村との入会地。西柿田の農夫は19人と少ないが,畑に木綿・大豆・小豆等を作る(濃州徇行記)。明治4年岐阜県に所属。同8年に東柿田を合併。同22年広見村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343466
最終更新日:2009-03-01




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