笠田(近代)
明治22年〜昭和31年の川島村の大字名。明治23年1月,栗木村の一部小屋場島を編入。明治〜大正期の笠田も島状をなし,木曽川の洪水に悩まされていた。大正末期改修工事が施行され,流路の整備された新川(本流)が誕生。笠田の上流に乗越堤が築設され,低水洪水の北派川への洪水分派を規制。笠田と米野(笠松町)を結ぶ笠田渡船は近世以来,濃尾を結ぶ通路として栄えた。大正末期から木曽川の大改修が行われ,本流が笠田集落の北側から南側に移ると,渡船場も本流に移った。学校令時代,笠田の小学校は簡易科が置かれた。川島村成立後は次第に川島小学校に統合。笠田に分教場を設置。昭和31年笠田町と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343497
最終更新日:2009-03-01