ケータイ辞書JLogosロゴ 加子母村(近世)


岐阜県>加子母村

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国恵那郡のうち。元和元年より尾張藩領。「慶長郷牒」の村高1,180石余,「正保郷帳」では1,189石余(うち田862石余・畑326石余),「天保郷帳」では1,089石余。山村ゆえ耕地が少なく,貢租の米納に代わり板子年貢を上納した。その板子も尽き,享保14年米納に改まった。寛政年間の家数396・人数2,122,馬250匹,産物は馬・鷹・材木。神社は白山・剣権現・若宮八幡・多賀大明神・新宮・白山・天王など。寺院は寛文3年創建の曹洞宗法禅寺・真宗西本願寺派永養寺がある(濃州徇行記)。江戸期以前より良質の木曽檜を産出し,裏木曽三村の付知【つけち】・川上とともに同一支配を受け,杣・木挽など山稼ぎにより経済を支えた。明治4年岐阜県に所属。同9年官有林5,000余町歩が村有となった。同22年市制町村制施行に伴い,単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343523
最終更新日:2009-03-01




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