ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶屋町(近世〜近代)


岐阜県>八幡町

江戸期〜現在の町名明治13年〜同31年は八幡【はちまん】を冠称江戸期は八幡城下の町名吉田川の支流小駄良【こだら】川下流左岸に位置し,北は職人町,南は本町,東は殿町に接する元禄5年「城下町家帳」に,南北に通る町並みの東側9戸・西側13戸があり,町名の由来の鍛冶屋5・酒屋3・医師2・馬医師・紺屋・研屋各1・残り耕作人天保10年の家数27(うち空家8)・人数114(郡上町中人家寄惣目録)文久元年「郡上八幡町中五人組連判帳」に鍛冶屋【かじや】町は4組26人が連判している両隣の本町から職人町へ一直線であったのが,承応元年の大火で職人町と鍛冶屋町境に食い違いができ,さらに大正8年の大火後,この食い違いを除去する議を定めた(郡上郡史)とあるが,現在も少しの食い違いが残る明治4年岐阜県に所属同5年の戸数25・人口126同22年八幡町の大字となり現在に至る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343528
最終更新日:2009-03-01




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