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「片原町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

片原町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は飛騨国大野郡灘【なだ】郷三之町【さんのまち】村のうち宮川上流右岸に位置する古くから鍛冶屋が多く軒を並べ,宮川に架かる鍛冶橋の由来をなす...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7343556]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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片原町(近世~近代)

江戸期~昭和48年の町名江戸期は久留米城下の1町城郭の南方に位置し,西は呉服町,東は通町に続く「家勤記得集」の慶安4年外濠普請の条に町名が見える地名の由来は,通りの北側が外濠沿いの草が茂る広手で,南側だけに家並みがあったことにちなむ宝永年間の家数26(啓忘録抜萃),安永年間の町間数1町58間(筑後志)享保12年藩接客用の御使者屋が置かれ,天保初期に両替町に移されたまた領内の大庄屋の会所が廃藩時まであった江戸末期の掛り町別当は両替町の井筒屋であった紙類と丸散薬取扱いを許された旧家の紙屋は,武者修業中の剣客などの旅館としても知られた明治17年の戸数29・人口132立地条件が劣り,明治期以降にはめぼしい発展はなかったが,明治11年に旧大庄屋会所を改造した久留米国立六十一銀行設立同22年久留米市の町名となる同41年久留米特産の籃胎漆器商店久籃社が設立された大正14年の戸数23昭和20年戦災で焼かれるが,第2次大戦後道路の拡張などが行われた同45年の世帯数10・人口40同48年一部を通町に編入し,残余は同年城南町・中央町となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

片原町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治5~20年頃まで上野を冠称江戸期は伊賀上野城下町の1町で,町人地城下町の中心部に位置し,西は鍛冶町,東は新町に接する上野天神の南側の東西1町たらずの町並みで,地名の由来は,町の北側が天神の土塀で片側だけに軒が並ぶ町という意にちなんだものであろう小さな町であったが,内神屋六大夫,猪田屋又五郎などの豪商がいた猪田屋からは元禄年間頃,松尾芭蕉の門人服部猪来が出た町肝煎は新町と兼任していたが,延享4年からは2人となった(上野町旧記目録)上野天神秋祭りに供奉する練り物の印は,初め新町と共同で出しており宝暦年間には当町独自の新しい印も作られたが,のちには廃止された明治5年の戸数15・人口63明治22年上野町,昭和16年からは上野市に所属明治22年~昭和25年までは大字上野のうち大正11年寺庄銀行が開業,昭和8年滋賀銀行となり,同11年東町に移転同26年の世帯数8・人口50...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

片原町(近世~近代)
江戸期~現在の町名「かたわらまち」ともいう江戸期は柳川城下の1町,本町組に属す「柳河明証図会」に,「辻門外,東西の通り南は川にして片側の町なり坂巻次郎右衛門町年寄なり今,年行司と云」とある享保年間の絵図には,「片原町道幅3間2尺5寸,43間5尺6寸」,瑞松院の「門前29間2尺8寸」とあり,年行司内右衛門の名が見える当町通りに続く門前通りは瑞松院に通じる東西の通りである浄土宗瑞松院は天正年間の創建で,はじめ本覚寺と称したが,寛永元年藩主立花宗茂の後妻於禰々(瑞松院殿)が江戸で死去し,その遺髪が当寺に葬られて以来,寺号を瑞松院と改称した文久2年,当町出身の平の川が大坂相撲の大関となる明治6年宗元町を合併同11年の耕宅地3反余,戸数26・人口108(県史資料2)同22年柳河町,昭和26年柳川町,同27年からは柳川市に所属同28年市営住宅片原町団地(8戸)竣工同35年の世帯数30・人口129...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

片原町(近世~近代)
江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち上・下2か町に分かれていた江戸期は俗にいう大津100か町のうちで,幕府領町名は街道の片側だけに民家があったことによる(輿地志略)逢坂【おうさか】峠から大津側に下る坂道にある江戸期には大津絵・大津そろばんの製造販売店があり,旅籠井筒屋は大津最大のもの寛政年間の横綱小野川喜三郎は当町の出身であり,小野川茶屋は有名であった自治組織は谷組蝉丸神社(中社)がある元禄8年下片原町の町屋43軒(町絵図)慶応元年大津宿役を負担した役家は上片原町に50軒・下片原町は42軒(大津市志)明治以後は京津電車軌道や国道1号の拡張で人家は減少してさびれた明治5年滋賀県に所属同22年滋賀郡大津町成立に伴い大津町大字上片原町,同31年市制施行に伴い大津市上片原町・下片原町となる同25年両町が合併して片原町となり,昭和40年逢坂【おうさか】1丁目の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

片原町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治19~22年3月は松江片原町江戸期は出雲国島根郡のうちもと末次村のうち慶長年間の松江城築城後,松江城下の町名として起立城地の南方,京橋川南岸に沿った東西に長い町で町内は南北に通じる柄屋丁【からやちよう】で分けられていた城下形成の際,西方の中原に掘割がなされたことから,片原の地名となった職人の町で京橋川を利用し,京染屋・藍染屋が多かった文化8年以降防火組は元材木町とともにろ組に属し,火消夫18人を常備した明治4年島根県に所属同7年設立の片原小学校は同17年末次小学校ほか3校と統合し,苧【お】町の西茶小学校となる同22年松江市の成立に伴い,同市の町名となる戸数・人口は,明治22年153・648,大正12年134・580,昭和13年119・532以後の世帯・人口は,昭和30年140・652,同35年134・574,同40年118・487...

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片原町(近世~近代)
江戸期~現在の町名七本松通五辻下ルの町寛永14年洛中絵図には「釈迦片原町」と記され,江戸期にはこの呼称が多かった「釈迦」を冠するのは,七本松通が千本釈迦堂の南門へ至る道であったからであろう同絵図によると,七本松通の西側は金山天王寺(現廃寺)が大部分を占め,町並みは東側しか記されていないので,町名は片側町の意かただし,はじめ西側は竹藪であり,町並みが東側にしかなかったためとする説がある(府地誌)江戸期は上西陣組の釈迦十町組,明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】3番組,同5年第6区と改称,同25年第5学区に編成明治12年上京区片原町,同22年京都市上京区片原町となり現在に至る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

片原町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は片原丁と書き,明治17~22年は高梁【たかはし】を冠称江戸期は松山城下の1町,武家地明治13年高梁町,昭和29年からは高梁市の町名城下北部に位置する元和3年池田長幸が入国後上級武士の屋敷地とした屋敷数・世帯数は,元禄6年16・9,延享元年9・9,慶応年間頃9・11(高梁市史)明治14年頼久寺町から高梁区裁判所が移転昭和22年県教員組合が事務所を開設同60年の世帯数14・人口45...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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