ケータイ辞書JLogosロゴ 惟荘(中世)


岐阜県>可児市

 鎌倉期から見える荘園名。美濃国可児郡のうち。「吾妻鏡」建久3年12月14日条によれば,平家没官領所々が源頼朝から妹の一条能保室に譲られており,その1か所は当荘であった。その後南北朝期には内裏料所,醍醐寺三宝院の管領となっている。応永33年内裏は朝役毎月300疋と九献の足(酒料足)を三宝院が無沙汰したことを理由に,三宝院の管領を停止し,直納させるよう将軍義持に要求。対して三宝院は毎月300疋の朝役は元来臨時のものであり,九献の足のみ進納すると主張,結局,三宝院の主張が通った(満済准后日記)。一方在地では,嘉慶2年大宅八郎,文和年中土岐宮内少輔直氏,応永2年土岐氏被官等の押妨があり,三宝院は応永17年には土井十郎光次なる者に年貢450貫文,代官得分10分の1で当荘の所務を請け負わせている。下って応仁2年の醍醐寺方管領諸門跡等所領目録に三宝院管領の1荘として見えるが,以後は不詳(醍醐寺文書)。なお,「吾妻鏡」建久元年4月19日条には,伊勢内宮役夫工料未済の所々の1つとして「椎(惟)加納」が見えるが,未詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343557
最終更新日:2009-03-01




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