ケータイ辞書JLogosロゴ 勝村郷(中世)


岐阜県>平田町

 南北朝期から見える郷名。美濃国安八【あんぱち】郡大榑【おおくれ】荘のうち。貞和5年3月6日付の検帳案に「注進 貞和五年勝村郷内見帳事」とあるのが初見だが,すでに鎌倉中期に成立していることは「以建長三年実検帳,令内検勝村郷公田帳」により明らかである(宝生院文書)。延文5年8月大洪水により当地の堤が3か所切れ込み,百姓の多くは逃散し田畑が荒野となったが,勝村観音寺住持の祈祷によりようやく復旧したという。かくて翌々康安2年6月1日当荘の預所沙弥実阿は,「大榑庄勝村郷観音寺仏正燈油䉼田畠事 合安清名之内参分二 田畠壱丁二反小」を,鳩森神社神宮寺の観音寺に寄進した(宝生院文書)。以後は織豊期まで未見。本能寺の変後,美濃国を領した織田信孝は,天正10年10月21日田中真吉に「かち村之郷 けつ所 百廿五貫五百文」など合わせて9か所640貫文余を宛行っている(黄薇古簡集)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343566
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ