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- 門出村(近世)とは
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門出村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国和気郡のうち八塔寺川中流域の山麓と谷あいに位置する地内に,城主明石宗運と伝える惣谷山城跡がある村名の由来は,その位置が八塔寺の寺域(門)を出るところにあたるためという宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」89石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに109石余なお「備陽記」では,高89石余,反別8町3反余,家数34・人数195,枝村に宿清ケ市・小原・赤ほうきがあるまた化政期の和気郡手鑑(和気郡史)では,高89石余・又高19石余,田4町3反余・畑3町7反余,学校領の村で,家数34うち本村12・小原11・おぼうさ6・前原3・中村2,人数130特産に松脂ろうそく・炭がある明治4年岡山県に所属同5年の学制施行により,103番小学を民家を仮用して開設,同7年神根本【こうねほん】村の神根小学に合併して同校支校となる同8年高田村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」