ケータイ辞書JLogosロゴ 門和佐村(近世)


岐阜県>下呂町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田郡麻生郷,のち下原郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年以降は幕府領。「慶長石高帳」103石余,「慶長三郡高帳」71石余,「元禄検地帳」74石余,「天保郷帳」215石余。延享3年の家数43・田畑反別10町5反余。明治初年には家数93・人数608,産物は穀類のほか大繭28貫目・小繭150貫目・楮1,235貫目・薬種人参11斤(1斤代1両2分)・串柿1,500連・生糸35把・酒80石・松烟5貫800目など。産土神は白山社,ほかに山神社2社・蚕飼薬師堂・地蔵堂があり,薬師堂には巨勢金岡作と伝える絵馬がある(国中案内・後風土記)。東は山,西は火打村へ2里,南は美濃国界へ半里,北は田口村へ1里半,高山町へは17里。門和佐口の口留番所があった。明治8年下原村(現金山町)の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343590
最終更新日:2009-03-01




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