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- 加納郷(中世)とは
「加納郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 加納郷(中世) 室町期から見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 加納郷(中世) 南北朝期に見える郷名所属郡不詳建武3年5月15日の細川顕氏同和氏連署奉書に「阿波国坂野新庄中分地頭職〈織原弥三郎入道跡〉事,為同国加納郷仙波大夫房跡〈勲功賞之(也カ)〉替所宛行也」とあり,村岡武藤三郎入道殿跡に対して,以前に勲功の賞として宛行われた元仙波大夫房の所領である当郷の替地として,坂野新荘中分地頭職が宛行われている(村岡武藤文書/徴古雑抄2)なお「侍所沙汰篇」の先例条々の中に「鎌田入道依苅村岡武藤対馬入道田一段十歩之咎,付鎌田入道田十町於対馬入道畢」とあり(群書22),鎌倉幕府の御家人であったまた仙波氏は武蔵七党の1つ村山党の御家人である比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 加納郷(中世) 戦国期に見える郷名尾張国丹羽郡のうち「信雄分限帳」に「かのうノ郷」「かなうの郷」と見え,大原豊蔵の知行地600貫文があったが,彼には伊勢国朝明郡羽津郷に替地を与え,当郷は生駒吉三郎の知行地となっているなお,永禄8年から天正元年頃と推定される12月29日木下秀吉書状・同秀長書状に「加納」と見え,織田氏直轄地で,代官生駒八右衛門家長が年貢1貫文を納入することになっていた(生駒家文書/県史料叢刊)近世には加納馬場村となった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」