ケータイ辞書JLogosロゴ 神淵郷(中世)


岐阜県>七宗町

 鎌倉期から見える郷名。美濃国武儀【むぎ】郡のうち。元応元年二階堂氏の一族と思われる尼浄心が武儀荘神淵郷栗原村を孫女理春に譲っている。理春は康永3年同村を娘理仁に譲り,貞和3年には理仁一期の扶持を条件に改めて臨川寺三会院に寄進,三会院は文和元年足利義詮の安堵を得たが,翌2年智見又五郎の押妨があり,土岐頼康に遵行を命じた幕府御教書を得ている(臨川寺重書案文)。その後「蔭涼軒日録」長享2年正月17日条によれば,同日「濃州竜門寺看坊職,同寺領神淵郷庄主職」に真晃首座を補したことが見え,当時神淵郷は相国寺雲頂院末寺竜門寺の寺領となっていた。しかし応仁の乱以来竜門寺と寺領神淵郷は守護土岐氏に押領されていたらしい。下って年未詳斎藤范可(義竜)知行宛行状に「神淵」が見え,近隣諸村とともに桑原右近衛門尉に宛行われている(斎藤文書)。禅刹神淵山竜門寺は,寺伝によれば,延慶元年一山一寧開山・土岐頼貞開基というが,当初福光山と号したとの伝えもあることから,貞和年間ごろ方県【かたがた】郡福光【ふくみつ】の地に創建され,のち現在地へ移ったとする説もある。なお,神淵郷内栗原村について「濃飛両国通史」は洞戸【ほらど】村栗原に比定するが,距離的に疑問で,七宗町神淵のうちとすべきであろう。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343636
最終更新日:2009-03-01




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