ケータイ辞書JLogosロゴ 神淵村(近世)


岐阜県>七宗町

 江戸期〜明治6年の村名。武儀郡のうち。はじめ金森長近領。慶長年中から幕府領大久保長安支配となり,元和元年からは尾張藩領。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに1,479石余,「天保郷帳」「旧高旧領」には,杉洞【すぎほら】・万場【まんば】・葉津【はづ】・八日市・中切【なかぎり】・寺洞【てらほら】・大橋・大塚・間見【まみ】・奥田の支村10か村に分けて石高が示されている。しかし神淵十郷と称され,江戸期を通じて神淵村は総称として用いられた。天明2年太田代官所が置かれその支配を受けた。寛政年間の戸数389・男女2,490・馬60匹,産物は干柿・茶・桑・楮・木材板木・炭など,畑地には麦・芋・稗・大豆・小豆を多くつくった(濃州徇行記)。明治4年岐阜県に所属。同6年前記10か村が合併,市制町村制下の神淵村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343637
最終更新日:2009-03-01




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