ケータイ辞書JLogosロゴ 上麻生村(近世)


岐阜県>七宗町

 江戸期〜明治6年の村名。美濃国武儀【むぎ】郡のうち。「慶長郷牒」には麻生村とある。はじめ金森長近領,慶長年間から幕府領大久保長安支配,元和元年からは尾張藩領となり,天明2年太田代官所が置かれ,その支配を受ける。村高222石余。枝村に葛屋【くずや】・室兼【むろかね】・追洞【おつぽら】・飯高・勝之洞【かちのほら】5か村があり,「天保郷帳」「旧高旧領」では枝村ごとの村高が挙げられているが,江戸期を通じ上麻生村と総称。享保20年の戸数285・人口1,457,宝暦年間の戸数270・人口1,347。枝村5か村を除く本郷分は元文4年の人口332,寛政年間の戸数210。本郷には鎮守諏訪神社,臨済宗妙心寺派宝樹寺がある。本郷・枝村とも田は少なく,芋・稈・大豆・綿・蕎麦などを作り,特産は楮・コンニャク,農間には杣・薪を産した(井戸家文書・濃州徇行記)。明治4年岐阜県に所属。同6年本郷に枝村5か村を合わせ上麻生村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343677
最終更新日:2009-03-01




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