ケータイ辞書JLogosロゴ 上河和村(近世)


岐阜県>美濃市

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国武儀【むぎ】郡のうち。はじめ幕府領,元和元年からは尾張藩領。村高は「正保郷帳」で河和村260石余,「天保郷帳」では河和上村と記し119石余。寛政年間の戸数92・人口407,馬6匹・牛11匹(濃州徇行記)。村鎮守は佐羅早松権現社で境内は除地。ほかに県明神など7祠があり寺院に曹洞宗霊泉寺がある。村民は農耕と山仕事を生活手段とし,狭小な耕地のため対岸の須原【すわら】村の耕地に出作する者もいた。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」によれば村の広さは東西30町・南北27町,田畑の総反別544町余。物産は米93石余・大麦147石余・大豆15石余・稗37石・蕎麦7石余など。県庁へ7里,郡役所へ2里。明治22年須原谷【すわらたに】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343731
最終更新日:2009-03-01




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