ケータイ辞書JLogosロゴ 加和屋町(近世〜近代)


岐阜県>岐阜市

江戸期〜大正5年の町名明治42年まで岐阜を冠称江戸期は美濃国厚見郡岐阜町のうち金華山七曲り道より西進し上ケ門【あげもん】の渡しに至る市街路の中央にあり,問屋や商店などの町家が建ち並んでいた寛保3年の大火で町内の半分が類焼(岐阜志略)寛政期の家数61(増補岐阜志略)天保12年日比野ミツによって寺子屋が開かれ,明治5年まで存続,生徒数200町内に高橋玄蕃邸宅址・梶川弥三郎邸宅址がある明治22年岐阜市に所属同42年稲束【いなづか】の一部を編入大正5年本町1丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343868
最終更新日:2009-03-01




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