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- 神坂村(近世)とは
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![]() | 神坂村(近世) 江戸期~明治11年の村名伯耆【ほうき】国久米郡のうち天神川の支流小鴨川の氾濫原に位置する鳥取藩領村高は,拝領高243石余,「元禄郷村帳」286石余,「元文2年村分帳」129石余,「天保郷帳」393石余(うち新田高49石余),「元治郷村帳」293石余,「旧高旧領」297石余元禄の本免は5.9,「元治郷村帳」の物成は152石余戸数は,「元文2年村分帳」7,「文久3年組合帳」17神社に上筒男命ほかを祭神とする住吉神社がある当村は倉吉陣屋町と接しており,早くから家並みが続き,事実上町場化していき,一部は田町と称されて倉吉陣屋町の一部のように扱われたしたがって江戸期には町庄屋が行政を担当し,町会所も設置され,ほかの村々とは異なっていたただし,一部は武家屋敷となっており,支配から除外された明治4年鳥取県,同9年島根県に所属明治初年の戸数170・人口598(県戸口帳)明治7年隆泉寺に開蒙学校の支校が設けられ,同8年温恭校と命名された同11年倉吉町に合併し,当村は湊町・東町・荒神町に分かれた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」