ケータイ辞書JLogosロゴ 木曽垣内村(近世)


岐阜県>国府町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国吉城【よしき】郡吉城郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。村高は「元禄検地帳」253石余,「天保郷帳」283石余。「後風土記」によると,村域は縦5町44間・横2町10間。家数51・人数250余。産物は米260石・稗24石・大麦28石・小麦6石・大豆12石・菜種2石余・桑1,200貫目・麻30貫目・楮100貫目・繭120貫目・生糸・油・布・稲莚・桃など。村の東方は半田へ5町,西方は三日町へ8町,南方は蓑輪【みのわ】へ8町,北方は鶴巣【つるす】へ5町,高山へは3里。鎮守は式内八社のうちの阿太由太神社で権現社ともいわれ,4畝余の除地があった。ほかに本尊阿弥陀座像(大仏とも唱える)を安置する阿弥陀堂・建正寺跡があった。明治8年国府【こくふ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343894
最終更新日:2009-03-01




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