ケータイ辞書JLogosロゴ 北今ケ淵村(近世)


岐阜県>安八町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国安八【あんぱち】郡のうち。枝村に杁ノ戸【いりのと】・青刈【あおがり】がある。尾張藩領(同藩家老石河伊賀守采地)。村高は各郷帳とも300石余(うち田95石余・畑198石余・桑木高1石余・野年貢5石余)。元禄7年以降,美濃路墨俣【すのまた】宿の助郷村。当村は畑地が多く,桑園のほか幕末には麦・綿・藍・蔬菜などを生産。江戸前期当村は森部【もりべ】・結【むすぶ】の輪中の堤外地に位置し,悪水の被害も少なかった。しかし,宝暦年間の薩摩の御手伝普請工事以後はむしろ上流の排水が悪化し,水田の水腐れがひどくなった。このため村に堤防を高く架けめぐらせようとしたが隣接輪中の反対にあい,明治9年に至り,完全な囲堤が完成。東北部にある枝村杁ノ戸は墨俣輪中の堤防の両側に集落をなし,地名は同輪中の杁樋があったことに由来。また枝村青刈は本村の西方で大明神輪中の北部に位置していた。明治4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震被害は,人数625のうち死傷者19,戸数109のうち全壊100・半壊9(震災誌附1)。同30年名森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343911
最終更新日:2009-03-01




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