ケータイ辞書JLogosロゴ 北方郷(中世)


岐阜県>北方町

 室町期から見える郷名。美濃国本巣郡のうち。康正2年5月22日付の足利義政補判御教書案によって大館兵庫頭教氏に当郷などが当知行の旨に任せて安堵されている(建内文書)。織豊期に入り,天正11年7月稲葉一鉄は伊勢神宮御師上部太夫に所領のうち「参貫文 北方」などを初尾として新寄進した(稲葉家譜)。下って天正末年ころ当地は石田三成の所領となり,同19年5月3日付で北畠助太夫に当地のうち136石5斗など美濃国内で合わせて250石を扶助している(谷森建男氏所蔵文書)。次いで関ケ原の戦直後,徳川家康が9月23日付で下した禁制には「北方町中三ケ村」と見え,江戸期の高屋・芝原・加茂の3か村を指すと考えられる(西順寺文書)。地内真言宗円鏡寺は永延年間の創建と伝え,楼門(国重文)は永仁4年の造立という(本巣郡史)。織田信長は岐阜入城直後の永禄10年11月,同寺に新儀の諸役を免除,次いで天正17年11月23日豊臣秀吉は寺領51石余を寄進し,江戸期は朱印寺となり,幕末に及ぶ(円鏡寺文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343924
最終更新日:2009-03-01




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