ケータイ辞書JLogosロゴ 切立村(近世)


岐阜県>高鷲村

江戸期〜明治8年の村名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち長良【ながら】川の支流切立川流域に位置する山間の集落郡上藩領地名の由来は泰澄大師が「霧立ちの洞」と申されたのを,後の人が切立と呼んだという(高鷲村史)「正保郷帳」によると村高80石(うち田48石余・畑31石余),「天保郷帳」は165石余,「旧高旧領」は123石余宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では村高123石余,戸数25(うち水呑6)安永2年の「郡上領地留記」によると真綿・荏・栗・クルミ・ウド・箒等が課役されている明治5年の村明細帳の戸数71・人口429(職人7人・医師1人),馬33匹・牛1匹鎮守は白山社で,祭礼は9月17日真観寺は真宗大谷派(郡上郡史)明治4年岐阜県に所属同8年に鮎走【あいばしり】村と合併して鮎立【あいたて】村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7343958
最終更新日:2009-03-01




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