ケータイ辞書JLogosロゴ 黒川村(近世)


岐阜県>朝日村

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田【ました】郡阿多野【あだの】郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年以降は幕末まで幕府領。村高は「元禄検地帳」46石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では66石余。「国中案内」では村高47石余・家数22。「後風土記」によれば家数32・人数209,産物は,大繭7貫・小繭50貫・梅1石余・山鳥4羽・馬6匹・ハエ・ウグイ・アジメがそれぞれ4貫など。寺社に産土神の天満宮・西教寺,古城跡に黒川城・中島城がある。西教寺は真宗で高山照蓮寺末,永正12年に僧宗周の開基。当村の東方は小瀬ケ洞【おぜがほら】村へ1里,西方は大広【おおひろ】村へ18町,南方は山,北方は川,また高山へ4里半。明治8年に朝日村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344133
最終更新日:2009-03-01




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