ケータイ辞書JLogosロゴ 毛呂窪村(近世)


岐阜県>恵那市

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国恵那郡のうち。苗木藩領。村高は「慶長郷牒」365石余,「正保郷帳」362石余(うち田271石余・畑91石余),「天保郷帳」476石余。中山道大井宿の助郷村。木曽川沿いの滝坂にあり,対岸の久須見村とを結ぶ渡船場は苗木藩領の村々から対岸に渡る唯一の交通路。ここに建つ馬頭観音は享保20年の建立でこの地区最大のもの。天保2年から明治5年に寺子屋があり,教師は林蔵六・逸見無一・林義一郎。明治5年村明細帳では115軒・586人,馬84匹。大工10,左官・桶工各1,木挽・酒造職・鍛冶各2。溜池59か所・橋3か所・秣場1か所があり威鉄砲32丁を所有。神社は蘇原神社(祭礼8月8日)・水上神社(祭礼2月初午日)。明治4年岐阜県に所属。同30年笠置【かさぎ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344169
最終更新日:2009-03-01




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