ケータイ辞書JLogosロゴ 郡戸荘(中世)


岐阜県>海津町

鎌倉・南北朝両期に見える荘園名美濃国のうち「吾妻鏡」文治2年6月9日条に「春近并郡戸庄年貢」と見えるが,これが美濃の郡戸荘を指すものかどうかは不明次いで建武2年11月日付の九条道家初度総処分状には「美濃国郡戸庄」が見え,本家は八条禅尼,領家は石山尼から道家室の准后綸子に譲進,地頭は幕府評定衆申原師員となっている(九条家文書)当荘のうち成田【なるた】郷の預所・地頭両職は,文応元年,藤原親員からその息女で中原師員の血を引く人と思われる名越女房(中原氏)に譲られ,以後子孫に相伝された(池田文書)また,建長2年7月12日付の西園寺公重宛後醍醐天皇綸旨には,「同(美濃)国郡戸庄内下切」が見え,領家職の一部は西園寺家の手中にあったと思われる(京都大学所蔵古文書纂)その他,大須宝生院所蔵の嘉暦4年の「釈摩訶衍論」巻一奥書,同じく「大日経義釈見聞」奥書にそれぞれ「於美州石津郡郡戸庄高須寺」「美州郡戸庄馬沢寺」と見え(荘園志料),年未詳の豊受大神宮宮司庁所領注進状写には美濃国の所領として「郡戸御厨」が見える(神宮文庫所蔵文書)海津郡海津町・平田町あたりに比定されるが荘域は未詳なお,「荘園志料」は石津・安八【あんぱち】・席田【むしろだ】の3郡にそれぞれ郡戸荘の存在を考えている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344226
最終更新日:2009-03-01




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