五町村(近世)
江戸期〜明治30年の村名。美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち。郡上藩領。村高は「慶長郷牒」204石余,宝暦期の村高覚帳では231石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに232石余。宝暦期の戸数13,うち水呑3(村高覚帳)。明治5年の村明細帳の戸数27・人口141(うち医師1),馬12匹。安永12年の課役品に紙・ワラビ・草箒・干栗・莚などがある(郡上領地留記)。鎮守は神明社など,寺は領主遠藤氏が崇信したという曹洞宗揚柳寺(郡上郡史)。「町村略誌」の物産は大麦・小麦・雑穀・葉煙草・実綿・麻・繭など。同4年岐阜県に所属。同30年川合【かわあい】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344284
最終更新日:2009-03-01