ケータイ辞書JLogosロゴ 小迫間村(近世)


岐阜県>関市

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国加茂郡のうち。慶長期から元和9年まで旗本西尾豊後守(光教)・出雲守(政照)氏知行地。絶家後上知され,幕府領となる。村高387石余。文化12年の村明細帳によれば,44戸・154人・馬4匹,田29町6反余,畑・屋敷2町3反余。用水は溜池3か所を利用,旱損所で御膳籾などを納入。1寺1社があった。明治2年の村明細帳では41戸・182人・馬4匹,田29町6反余・畑2町3反余。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」によると39戸・200人・馬17匹,民有地の田33町7反余・畑2町2反余,米323石・大麦41石・実綿56貫を生産。明治24年の濃尾地震では,総戸数40戸・総人口233人のうち全壊7戸・半壊33戸,負傷者3人(震災誌附1)。同30年田原【たわら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344308
最終更新日:2009-03-01




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