ケータイ辞書JLogosロゴ 駒塚村(近世)


岐阜県>羽島市

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国中島郡のうち。尾張藩領駒塚石河氏給地。村高は254石余(うち田方70石余・畑方184石余)。大浦輪中のうち(徳川治水記)。駒塚渡しは木曽川対岸の富田村と結び,享保11年に開設(石河家文書)。逆川の分岐点には流材の点検にあたる駒塚官舎が置かれていたが,宝暦の頃には廃止されている(濃陽志略)。寛政年間の村況は,東西5町・南北1町。田畑40町余。戸数125・人口607,馬13頭。名古屋へは6里,舟路13里の地。助郷は美濃路起【おこし】宿に出役。寺社は神明社・春日明神社,真宗東派伝法寺(濃陽徇行記)。明治2年の村明細帳の戸数128・人口612。同4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震の被害は全壊123戸・半壊29戸(震災誌附1)。同30年羽島郡駒塚村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344322
最終更新日:2009-03-01




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