前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 米屋町(近世~近代)とは

「米屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

米屋町(近世~近代)


江戸期~現在の町名明治42年まで岐阜を冠称江戸期は美濃国厚見郡岐阜町のうち名古屋街道沿いの町慶長18年靫屋【うつぼや】町より陣屋が移転寛政期の家数31(増補岐阜...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7344345]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
米屋町(近世~近代)

江戸期~昭和40年の町名江戸期は福山城下の町人屋敷地福山城の南,東は桶屋町・深津町,南は下魚屋町,西は武家屋敷地,北は上魚屋町町名は,米屋が多く居住していたことに由来する地内は北から上米屋町・中米屋町・下米屋町に分かれていた天和3年~元禄11年頃の備後福山町絵図には「米屋町」「同中」「同下」と記されている「備陽六郡志」によれば,町のそれぞれの規模は112間余・1,455坪余・戸数49(本家27・表借家22),規模112間余・1,497坪余・戸数73(本家26・表借家20・裏借家27),規模114間余・1,704坪余・戸数27「福山志料」では,それぞれ長さ102間余,戸数51・人数145,長さ112間余,戸数63・人数122,長さ114間余,戸数40・人数101当町には米座が許可され,米穀の売買,蔵米の販売,津出し米の取締りなどを独占的に行っていた(福山市史)「備陽六郡志」によれば,水野氏の治政下には米座が設けられ,阿部正福(正)の代にも3年程米座が設けられたが,程なく廃止されたという地内の上米屋町の北西端には町奉行屋敷,下米屋町の西には町奉行屋敷・郡方会所・長御蔵・御使者屋敷があった明治初年上米屋町・中米屋町・下米屋町は合併して米屋町となる明治6年公立小学校洗心学校設立,教員数男6・女1,生徒数男137・女105同21年の戸数137・人口547明治22年福山町,大正5年福山市の町名となる同6年の戸数112・人口581昭和20年8月の空襲により全焼同40年城見町1~2丁目・宝町となる

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は丸亀城下の1町丸亀平野の北部に位置し,丸亀城の北にあたる「西讃府志」には「通町ヨリ東ニ入リ北ニ折レテ魚屋町ニ続クヲ米屋町トス長八十四間」とある京極氏入封以後に形成された町で,万治年間の城下図には通りと町割のみが記され新町の記載はなく,人家はほとんどなかったと考えられる地名の由来は米屋の町から起こったという(丸亀市史)城下の大年寄の下で町年寄が町政を担当した紀伊国覚右衛門などの大年寄も出た棒役は松屋町と合わせて38本6歩2厘「西讃府志」では,戸数・人口は松屋町と合わせて100・356(男181・女175)通町と隣接する商業地として発展,幕末には藩の重要産業となった綛糸生産の中心地の1つとなった嘉永5年当町の高貴清八は宗古町太田岩蔵とともに綛糸生産願書を藩当局に提出し許可されている(高貴家文書)明治11年には丸亀町の1町となり,同18年まで東組に所属同23年市制町村制施行により丸亀町の1町となり,同32年市制実施にともなって丸亀市米屋町となる明治4年の町の広さは松屋町と合わせて4,521坪余,うち鵜足【うた】郡分1,669坪余・那珂郡分2,451坪余同21年の戸数96・人口315(うち旧士族33),職業別人口は商業158・工業45・雑業112(丸亀市史)昭和11年丸亀商工会議所設立世帯数・人口は,同27年61・266(男123・女143),同55年43・115(男46・女69)...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名油小路通七条上ルの町南北に通る油小路通をはさむ両側町寛永14年洛中絵図・寛文12年洛中洛外大図には「四丁目」,天明6年洛中洛外大図には「油小路通四丁目」と記す寛文5年刊「京雀」では「仏具屋町四町め」とするが,延享3年の「寺内歳時記」(村上文治家文書)には現町名を載せる当町は西本願寺寺内町成立以来の古町の1つで,なかでも上席の権威をもつ由緒町と呼ばれた(表処置録/村上文治家文書)旅館街である客屋十二町の1つ当町には浄土真宗本願寺派法雲寺があった同寺は文政8年僧義象の開基で,堂達寺院の1つ(同前)当町居住の者としては,貞享2年刊「京羽二重」に表補絵師の孫左衛門,宝永版「京羽二重」に能太夫の小松五郎左衛門,「表処置録」に米屋仲ケ間の一文字屋藤九郎,豆腐屋仲ケ間の久我屋安兵衛,また米屋町拝借人として河内屋五郎兵衛の名をあげる江戸期は西本願寺寺内町の若松組,明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】19番組,同5年第23区と改称,同25年第23学区に編成明治12年下京区米屋町,同22年京都市下京区米屋町となり現在に至る同34年9月には,大日本仏教慈善財団が当町にて設立(京都府誌)大正元年11月には七条通に市電も開通した世帯数・人口は,明治44年44世帯・232人,大正14年47世帯・262人,昭和40年44世帯・259人人口増減率(昭和40~50年)41.3%減...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~昭和44年の町名江戸期は佐賀城下の1町寛政元年の幕府巡見使への報告に見える城下三十三町の一つ佐賀城の北に位置する長崎街道が通り,町筋は街道に沿って東西に走る北は十間堀川に面し,街道に沿って東は白山【しらやま】町,西は中町に連なる承応3年の佐賀城廻之絵図には町名が見えず,町の成立は承応年間以降のことであろう元文5年屋敷帳では竈数34嘉永7年米屋町竈帳の総竈数36(明家1),人数144(男70・女74),身分別竈数は侍1・家来2・徒士1・足軽7・職人1・被官5・その他の有姓者2・町人16,とくに多い職種の竈数は日傭取6これによれば,身分別には町人が最も多く,職業別には日傭取が多く,大工がこれに次ぐ町政は白山町の別当の統轄下にあり,咾【おとな】2人が町民のうちから選ばれて町政の実務にあたっていた当町も火災が多く,元禄16年には中町から出火した火災で当町も含めて100余軒が焼失した(新佐賀市史2)嘉永7年の竈数の宗派別は禅宗17・一向宗7・浄土宗7・法華宗4・真言宗1「明治7年取調帳」では中町の枝町として見える明治22年佐賀市に所属昭和42年一部が佐賀市成章町となり,残余は同44年佐賀市白山1~2丁目となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名1~3丁目がある江戸期は熊本城下古町中古町懸の一町で,明治12年熊本区,同22年からは熊本市の町名となる古町には大きく4筋の南北の町並みがあり,このうち西から3筋目にあたる坪井川左岸から南へ1~3丁目と並び,江戸期から明治初年頃までは米屋1~3丁目と称された米穀問屋と米小売商が軒を連ねる町であったという(慶徳百年)1丁目には,明治10年熊本第九国立銀行,同26年大倉組熊本支店,同28年福永銀行,同31年肥後汽船・東京火災保険九州支店・熊本ラムネ会社が設立されたまた2丁目には,大正14年住友銀行熊本支店,3丁目には,明治31年日本生命保険九州出張所が置かれるなど,第2次大戦までは熊本市の経済の中心地の1つとしてにぎわいを見せた明治16年の戸数・人口・民有耕宅地面積は,1丁目47・192・8反8畝,2丁目41・86・9反1畝,3丁目54・233・7反2畝余(県公文類纂/県立図書館蔵文書)大正4年の戸数・人口は,1丁目35・203,2丁目44・179,3丁目73・312昭和45年の世帯数・人口は,1丁目25・83,2丁目36・148,3丁目69・231...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は萩城下28町の1つ東は西田町・津守町,西は瓦町・恵美須町・塩屋町に接する当町の北側を塩屋町筋が東西に走り,東端を小道具町が南北によぎる当町の中央を東西に横断する道筋によって,南米屋町と北米屋町とに分かれる町名の由来は,毛利輝元の萩打入りの時,当地で家来中への扶持方米を払い渡したことにちなんだものという(萩諸町之旧記草案)一説には米穀を売買する商人が多数居住していたためとも伝えられる(萩市中覚書)当町の成立の時期は明らかではないが,寛文7年に幕府巡見使が来萩した際の回答書に南米屋町と北米屋町の名が見える(波多野氏記録雑要集抄)宝暦元年萩大絵図付録の記録(寛延3年改)によると,間数396間,総竈数163うち本軒18・店借144・内貸屋1,ほかに蔵18がある明治12年には西田町外6か町からなる萩北部南組を形成し,同17年には呉服町1丁目外15か町1か村からなる萩西組に属した明治16年の戸数115・人口424(県の統計百年)同22年萩町,昭和7年からは萩市に属す...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名今出川通寺町東入の町当町はもと大宮通丸太町にあったが,元禄年間所司代邸の建設用地となり,替地として今出川通寺町の真如堂跡地を下賜された真如堂は元禄5年冬の火災に被災し,翌年洛東へ移転(山州名跡志)その跡地が替地として与えられた江戸期は聚楽組枝町の真如堂六町組明治2年左馬殿町と合併同年の町組改正から上京【かみぎよう】29番組,同5年第12区と改称,同25年第9学区に編成明治12年上京区米屋町,同22年京都市上京区米屋町となり現在に至る明治34年3月京都電気鉄道の延長路線(寺町丸太町~寺町今出川~青竜町)が開通したが,河原町通に市電の5号線(今出川寺町~河原町丸太町)が完成すると大正13年9月末廃止(京都市営電気事業沿革誌)明治44年実施の産業別人口統計によると,当町は商工業従事者の比率が高く,世帯数・人口は38世帯・172人(京都市臨時人口調査要計表)以後は大正14年47世帯・229人,昭和40年53世帯・174人...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は姫路城下の1町町人地明治初年~明治22年は姫路を冠称姫路城の北東,野里門の北東方町名は米屋があったことに由来するという(姫路市町名字考)もと野里村のうち,江戸中期頃までは比丘尼町の一部で,小者衆屋敷とも記されている福本町の北野里村地内の五郎右衛門邸と鍛冶裏新町を江戸期以前から支配した鋳物師芥田家は,慶長6年池田輝政に支配権を取り上げられたが,元和3年本多忠政により再び支配を認められた(芥田家文書/姫路市史)また,正徳4年芥田家が申請して鍛冶裏新町を米屋町に改称したという(同前)藩側では比丘尼町とし,在郷支配側は鍛冶裏新町としていたものか元文5年の家数22,地子銀80匁(穂積家文書)姫路山伏秀祥院があった(播州姫路考略記)明治14年の戸数27・人口122,宅地1,029坪(播磨国地種便覧)同22年姫路市に所属大正元年の戸数32(姫路紀要)世帯数・人口は,昭和2年46・174,同35年34・123...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は相川の1町相川之図(佐渡志)によれば,町並みは東西に続き,北は四十物【あいもの】町,南は上京町・中京町・下京町,東は夕白町に接する元禄7年検地帳では屋敷9反余,屋敷数は北側24・南側25相川町々書上では町並み169間余,町屋敷9反余,町名は当町に搗米屋が居住し,米を専売したことに由来する地内の北側に同心町・四十物町との境となる小路が,また四十物町に至る3本の小路があり,南側には3京町に至る3本の小路があるなお,四十物町へ至る1本の小路には,享保年間頃まで魚屋があり,中ノ棚と通称文政9年墨引帳では家数88・竈数81,職業は日雇9・定人足6・抱地役人4など浄土真宗願泉寺がある明治6年の人口281同22年相川町に所属昭和48年の人口97...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は和歌山城下内町のうちの町人町で,明治12年和歌山区,同22年からは和歌山市の町名となる和歌山城の北部に位置し,西部は本町1丁目,東部は中ノ店南ノ丁と地尻を接する北は匠町に続き,南は堀川に沿う町名は米問屋が集住したことに由来する当町北部から本町に至る東西の横丁はぶらくり丁と呼ばれ,衣類を中心とした商人町であった明治6年には戸数31,男66・女71大正2年26戸・211人明治28年紀陽貯蓄銀行が創立されたが,同45年本町1丁目へ移転大正8年戸田銀行創立同銀行はのち鴻池銀行に合併,さらに三和銀行支店となった昭和20年7月の空襲では全町焼失の被害をうけた...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

米屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名油小路通丸太町上ルの町宝暦年間には当町西側に出雲松平氏の京屋敷があったが,のちに二条小川の東に移った当町東側の真宗本派本願寺宝受寺はもと天台宗久遠寺と称したが,天文9年葛野【かどの】郡川島村より移転し,改宗「京羽二重織留」によると両替屋日野屋又右衛門が居住,「京羽津根」によると心学道話舎の楽行舎があった江戸期は下川東組明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】18番組,同5年第20区と改称,同25年第16学区に編成明治12年上京区米屋町,同22年京都市上京区米屋町となり現在に至る大正14年の世帯数75・人口380,昭和40年の世帯数81・人口336...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
420曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『逓信記念日、女子大の日』

1901(明治34)年、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学しました。

今日の暦

月齢:11

月齢:11
月名(旧歴日):十日余りの月(とおかあまりのつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・20日
・土
・Saturday
・友引

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>1日「
立夏<
・a>」まで<
・font>15日


JLogos Now!!