- JLogos検索辞書>
- 三枝郷(古代)とは
「三枝郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
三枝郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」下総国千葉郡七郷の1つ養老5年の下総国葛飾郡大島郷戸籍に三枝部が見え(大日古1),「新撰姓氏録」左京神別によれば三枝部連は「額田部湯坐連同祖」とあって,下総に三枝郷,上総に額田郷・湯坐郷があることから,それぞれの部民の所在郷であったと推定されるまた,「日本書紀」顕宗天皇3年条には「福草部」を置いたことが見え,「さきくさべ」と読んだことから,三枝部も同様に読み,転じて「さいさべ」「さくさべ」とも読んだと考えられる以上から当郷は現在の千葉市作草部町あたりに比定される(地理志料・地名辞書など)付近に東寺山古墳群・駒形古墳群がある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
三枝郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」飛騨国大野郡四郷の1つ訓注は佐(左)以久佐清見村および高山市に合併以前の上枝【ほずえ】町に比定される(濃飛両国通史)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」