ケータイ辞書JLogosロゴ 沢村(近世)


岐阜県>和良村

 江戸期〜明治27年の村名。美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち。はじめ郡上藩領。のち当村は上沢村・下沢村に分村。下沢は正保3年に遠藤常久が弟金兵衛へ1,000石を分知したため乙原遠藤氏の領地となる。また,上沢は元禄6年に井上正岑が弟正長に3,000石を分知したため旗本井上正長知行地となり,万延元年井上正長が転封となり,以後幕府領となる。村高は「正保郷帳」353石余。上沢村の村高は「元禄郷帳」によると,224石余。「天保郷帳」「旧高旧領」はともに225石余。明治6年の村明細帳によると戸数31・人口161,馬6匹。神社は九頭大明神,同社は明治6年に上沢神社と改め,同7年に一部を皇室付属地に上地するとともに戸隠神社と改称した。同社に扉岩があり,「新撰美濃志」に「里伝に信濃国戸隠山に所在の片扉なりと伝ふ」とある。祭礼には山神と大神楽・伊勢神楽が宮地村とともに奉納される。下沢村の村高は「元禄郷帳」「旧高旧領」は151石余。「天保郷帳」は175石余。明治6年の村明細帳によると戸数31・人口163,馬9匹。神社は日吉社。鎮守の祭礼に大神楽・伊勢神楽が奉納される。念興寺は東本願寺末寺。同寺には瓢ケ岳【ふくべがたけ】の鬼退治伝にまつわる「鬼の首」という頭蓋骨がある。明治6年下沢義校(現和良小学校)が開校。明治4年岐阜県に所属。同8年に両村が合併して沢村に復す。明治13年の戸数63・人口400。「町村略誌」によれば大麦・小麦・栗・黍・稗・大豆・蜀黍・大根・蕪・石灰・繭・茶・楮・煙草の産物がある。明治24年の戸数61・人口416(震災誌附1)。同27年和良村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344475
最終更新日:2009-03-01




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