ケータイ辞書JLogosロゴ 下有智御厨(中世)


岐阜県>関市

 鎌倉期から見える御厨名。美濃国武儀【むぎ】郡のうち。伊勢神宮領。建久3年8月日の伊勢神宮神主請文写に初見。同請文によれば文治4年国司庁宣をもって建立されたといい,給主は藤原範能,供祭物として八丈絹3疋・別進起請7疋を負担。その後享徳元年の皇大神宮宮司庁宣注文写に「下有地 五百文」とある(神宮文庫所蔵文書)。領家職は鎌倉末期以来九条家が帯していた。建武3年8月24日左大将家政所注進当知行地目録案に見え,当時領家・地頭で中分しており,うち「寺地・橘并太田依沢通名等庶子分地頭職」は闕所として一円本所に付されたという。その後応永3年4月日の九条経教遺誡によれば,当時前関白(九条忠基)が管領しており,経教死後は内府教嗣の知行,家司兼致が奉行することが定められている。九条家の領家職は戦国期まで名目上維持されたが,天正13年5月14日の九条家当知行并不知行所々指出目録案では不知行となっている(九条家文書)。一方,地頭は藤原姓天野氏で,建長8年7月3日将軍家政所下文によれば,「美濃国下有智御厨内寺地郷并上野平太・同四郎兵衛尉名田畠等」が藤原政景―同後家―景経と相伝されており(鎌遺8008),文永11年8月には「伊豆国見附府中上郷・参河国中条郷」の替地として「下有地御厨本郷」等が天野氏に与えられている(天野毛利譜録)。以後「下有地御厨本郷」「下有智御厨寺地・橘并弥四郎兵衛尉跡」「下有智御厨内島名・布久久見市庭」「下有智御厨并大牧郷三分方」等が天野氏代々の譲状等に見え,天野氏が永く地頭職を帯していた(天野毛利文書・前田文書等)。現在の関市下有知を中心に関市北部から美濃市南部にまたがる長良川流域に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344614
最終更新日:2009-03-01




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