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- 下方村(近世)とは
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![]() | 下方村(近世) 江戸期の村名肥前国松浦郡のうち平戸島中央部に位置し,西北には鯛ノ鼻・安満岳,北東には上床,西南は有僧都岳・鴛ノ岳,南には慈眼岳がそびえている安満岳からは安満川,有僧都岳からは木ケ津川が発し,ともに木ケ津湾に注いでいる集落は各山岳のふもとから河口周辺にかけて立地する村名の由来は,平戸城下より南に位置し,下方にあるためと推測される平戸藩領平戸筋に属す村高は,「慶長9年惣目録」1,865石余,「元禄12年郷村帳」719石余,「天保郷帳」836石余「元禄12年郷村帳」では当村の項に親村と注記し,下方村枝村として水垂村・宝亀村・木ケ津村・大河原村・船木村・春日村,下方村新田新村として辺護原村の村名と各村高を記載し,さらにこれらの村々が「元禄郷帳」「天保郷帳」において独立した村として見えており,これらの村々は江戸初期には当村の一部であったが,江戸前期に当村から分村したことが知れるまた,「元禄12年郷村帳」では当村内の浦方として無高の宝亀浦・木ケ津浦の名前が記されている「旧高旧領」には当村名が見えず,紐指村1,609石余のうちに含まれているものとみられ,幕末・維新期までに紐指(紐差)村の一部になった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下方村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下方村(近世) 江戸期~明治8年の村名遠江【とおとうみ】国城東【きとう】(城飼【きこう】)郡のうち菊川右岸に位置する横須賀藩領村高は,「元禄高帳」536石余,「天保郷帳」567石余,「旧高旧領」572石余「遠淡海地志」によれば,中村四ケ郷のうちで,戸数30,日蓮宗満勝寺がある稲作を中心に蔓菁根・蕗・牛蒡・白瓜・茄子・大角豆・葱・油菜・藍などを栽培用水は田ケ池および亀想川を利用鎮守は大石村牛頭天王社で,ほかに諏訪大明神社明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て同年11月浜松県に所属明治8年海戸【かいと】・公文【くもん】・毛森の3か村と合併して中村となる現在大東【だいとう】町大字中の通称地名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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