ケータイ辞書JLogosロゴ 正ケ洞村(近世)


岐阜県>高鷲村

江戸期〜明治8年の村名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち長良【ながら】川右岸台地に位置する地名の由来は「白山登頂をめざす泰澄大師が小山に登り飛騨の谷に登山道を案じたまうこの山を案じが峰という大師初の洞・あの洞・霧立ちの洞とのたまいしを後の人正ケ洞・穴洞【あなほら】・切立【きつたと】と呼びたり」という(高鷲村史)郡上藩領「正保郷帳」によると村高93石余(うち田44石余・畑48石余),「天保郷帳」は95石余「旧高旧領」は80石余宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では村高33石余,戸数20(うち水呑3)安永2年の「郡上領地留記」によると高92石余,真綿・大豆・荏・渋・帳紙・干栗・クルミ・ウド・莚・箒・飼葉等が課役されている明治5年の村明細帳の戸数32,人口176(職人1人),牛5匹・馬11匹鎮守は天王社で,9月20日の祭礼には大神楽が奉納される通入寺は真宗大谷派,長善寺は浄土真宗本願寺派(郡上郡史)明治4年岐阜県に所属同8年に向鷲見【むかいずみ】・穴洞【あなぼら】・中切【なかぎり】3か村と合併し大鷲【おおわし】村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344772
最終更新日:2009-03-01




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