ケータイ辞書JLogosロゴ 上呂村(近世)


岐阜県>萩原町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田郡上呂郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。「慶長石高帳」に「中井村上呂村二ケ村」として村高1,441石余をあげているが,この上呂村がどの地域を指すかは未詳。「慶長三郡高帳」の村高290石。元禄検地の村高294石・家数59軒,「国中案内」では69軒。「天保郷帳」の村高348石余。「後風土記」によれば村高348石・家数72・人数494。産物は米185石余・稗200石余・大麦283石余・小麦30石余・大豆25石余・大繭小繭990貫余など。鎮守は久津八幡宮,別当は常法院。ほかに天王宮・十八相宮・大将軍宮があり,寺院に臨済宗妙心寺派の竜泉寺・浄土真宗大谷派の光雲寺がある。明治8年三郷【みさと】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344783
最終更新日:2009-03-01




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