ケータイ辞書JLogosロゴ 鷲見郷(中世)


岐阜県>高鷲村

南北朝期から見える郷名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち初見は年未詳3月30日付の土岐頼康宛足利尊氏御教書写で,「鷲見四郎左衛門申,美濃国鷲見郷河西郷事」とある(本多氏古文書)明徳元年9月6日には足利義満袖判御教書をもって「美濃国郡上郡之内鷲見郷河西・河東地頭職」が鷲見中務少輔入道禅峰に安堵されており,当時鷲見川を境に東・西に分かれていたことがわかる(長善寺文書)当地を本貫とする鷲見氏は,藤原魚名12世の孫頼保が美濃守として下向,勅命により郡上郡雲ケ岳で大ワシを退治したことにより,鷲見の姓と美濃国芥見【あくたみ】荘鷲見郷を賜ったことに始まると伝えるまた頼保の孫家保は承久の乱後に当郷を安堵されたといい,「鷲見家譜」は承久3年7月日付で「鷲見郷下司」を安堵した美濃守護下文を載せるが,同文書には疑義が残るなお,江戸期には鷲見【わしみ】村・向鷲見【むかいずみ】村など,鷲見【すみ】川流域8か村鷲見八郷と称しており,近代になって大鷲村など4か村が合併,高鷲【たかす】村となった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344918
最終更新日:2009-03-01




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