ケータイ辞書JLogosロゴ 関町(近代)


岐阜県>関市

 明治22年〜昭和25年の武儀郡の自治体名。明治24年の濃尾地震では,総戸数1,169戸・総人口4,646人のうち全壊314戸・半壊710戸,全焼743戸・半焼142戸,死者41人・負傷者126人(震災誌附1)。同44年美濃電気軌道株式会社により岐阜〜関〜美濃町間に電車が開通,大正元年関町に電灯がつき始める。同6年の「関町案内」によれば,1,327戸・6,706人で,職業は農業271・養蚕業49・茶業79・林業狩猟業7・漁業65・工業602・商業597。木製品・打刃物・菓子など工産物の年生産額20万8,708円,蚕業・蚕糸は桑園173反・養蚕農家48戸で,年197石を産し,絹糸8万7,111円を生産。茶業では茶園56反で2,600円を産出。車は馬車乗人用1軸・荷馬車18軸・人力車18台・荷車431軸・自転車188軸があった。町字は42に区分され,吾妻町・伊勢町・末広町・新町・前町・兼永町・練屋町・呉服町・郷戸町・本町・岡本町・高見町・万屋町・河合町・栄町・貴船町・十軒町・金屋町・常盤町・幸町・富本町・白川町・千歳町・住吉町・柳町・相生町・春日町・金沢町・春元町・上り町・清見町・日吉町・坂下町・元重町・日吉・桜木町・朝倉町・月見町・小瀬木・巾・鍛冶屋町・稲河である。大正9年の国勢調査では1,422戸・6,431人。同10年吉田【きつた】村を合併,2,114戸・1万461人となる。同年市街地の小字名(町名)の一部変更もなされ,上利町・相生町・住吉町・末広町・本町・練屋町・呉服町・郷戸町・兼景町・清見町・岡本町・高見町・万屋町・栄町・新町・富本町・兼永町・千年町・常盤町・白川町・金屋町・鍛冶屋町・十軒町・貴船町・河合町・春日町・司町・前町・金沢町・幸町・春元町・月見町・朝倉町・桜木町・一本木・柳町・西山町・坂下町・元重町・日吉町・伊勢町・吾妻町・美和町・西門前町・大門町・東門前町・出来町・吉田町・西町・本郷町・仲町・東町・黒屋・洞・稲河・巾の56町となる。同14年の国勢調査では2,273戸・1万474人,昭和5年の国勢調査では2,428戸・1万1,469人である。同6年には雨水下水道工事がなされ,昭和25年から上水道工事に着手し,昭和38年から家庭下水工事を開始,地方都市には珍しく昭和51年度で48.5%の普及率を誇る(関市統計書)。同8年2,525戸・現住1万3,335人であった(武儀郡勢要表)。昭和10年末,2,630戸・1万3,736人,打刃物262万円・陶磁器8万2,000円を産出(関市史)。同14年末の総戸数2,840戸・総人口1万5,424人,農業431戸・2,361人,工業918戸・6,043人,商業766戸・4,328人,公務・自由業228戸・974人。同14年の主要工産物は打刃物253万円・生糸208万円・刀剣188万円・機械器具55万円・タイル類41万円,総生産額は779万円。同18年10月1日決戦体制確立要請の中,町村合併による行政の合理化が推進され,倉知村・瀬尻【せじり】村を合併,3,535戸・2万282人となり,生活水準低下の中,軍刀の生産・軍事部品の生産で表面的には活況を呈し,空襲などの被害もなく,敗戦を迎える。同23年田原村稲口が分村合併,このころから市制施行実施運動が高まり,昭和24年加茂郡富岡村(大字大平賀を除く)を,同25年山県郡千疋【せんびき】村・加茂郡田原【たわら】村をそれぞれ合併。同25年市制施行。同22年4,702戸・2万2,378人,同25年5,468戸・2万7,380人(国勢調査)であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344933
最終更新日:2009-03-01




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