ケータイ辞書JLogosロゴ 関原郷(中世)


岐阜県>関ケ原町

 南北朝期から見える郷名。美濃国不破郡のうち。嘉元4年6月12日付の昭慶門院御領目録に国衙領に属する所領として「関所 広具」があげられており,当地に比定されよう(京都大学所蔵文書)。その後,当郷は久我家領となり,観応元年8月13日付の久我長通譲状に「不慮違乱所々」のうちに「同国関原郷・穂積郷・伊福貴社」が記されている(久我文書)。以後の帰趨は不明。なお,この間文保元年8月21日付で公文・収納使連署百姓職補任状なる文書が残されており,「関原郷采王大夫名百姓職」を又太郎に安堵している。さらに,建武4年5月14日付の代官忠国百姓職安堵状にも「美濃国々領関原百姓又太郎名百姓職」の文言が見えるが,これらの文書はその様式や文言等に疑問が残る(三輪達氏所蔵文書)。織豊期に入り,年未詳9月20日付の美濃国総坊主衆支配定書に「セキカハラ下屋 中下」と見える(西円寺文書)。なお,徳川家康は関ケ原の戦直後の慶長5年9月23日付で「関ケ原町衆中」に禁制を下し,諸人の乱妨狼藉を禁止している(関原郷土館所蔵文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344936
最終更新日:2009-03-01




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