ケータイ辞書JLogosロゴ 関ケ原村(近世)


岐阜県>関ケ原町

 江戸期〜明治30年の村名。不破郡のうち。旗本岩手竹中氏知行地。村高は「慶長郷牒」1,404石余,「正保郷帳」「天保郷帳」1,904石余。「元和領知改帳」の村高は1,904石。江戸期を通じ中山道の宿駅として栄え,東は垂井【たるい】宿へ1里14町,西は今須宿へ約1里。元禄16年の宿の状況は町の長さ東西12町49間,人口1,252人,家数は347軒で,うち馬役50・歩行役135・半役40・諸役人17であった。天保13年には人口1,389・家数351で(うち馬役27・歩行役292・諸役人20),元禄7年の助郷は野上をはじめ近在12か村,家数630,馬数41であった(県史)。宿の中心部に北国街道と伊勢街道の分岐点があり,九里半街道(米原と濃州三湊または大垣湊との間)との連絡点でもあったため旅籠屋・問屋が多かった。天保14年旅籠屋33軒のうち大旅籠屋が12軒で,美濃16宿中最高である。宝暦10年の大火で宿は全焼したので,道の中央に幅5尺ほどの用水路をつくり,池の水を用水として流したり用水井戸を所々に掘って水の少ない宿場町の防火に備えた。火災よけの火の神秋葉神社をまつる村祭りが始まりその余興として花火を打ち上げることが今日まで続いている。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」によれば戸数473・人口2,014。村社の八幡神社ほか4社,真宗大谷派願誓寺・曹洞宗興正庵ほか3か寺の社寺がある。学校は関ケ原小学校で生徒数103人。総反別760町余。物産は米・大麦・小麦・蕎麦・繭・桑など。明治30年関ケ原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344937
最終更新日:2009-03-01




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