ケータイ辞書JLogosロゴ 瀬戸村(近世)


岐阜県>中津川市

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国恵那郡のうち。苗木藩領。村高は「慶長郷牒」108石余,「正保郷帳」133石余,「天保郷帳」296石余。木曽川沿いの小村で苗木藩の代官所の所在地。寛政4年の戸口は44戸・208人。中山道落合宿へ木曽川を舟で渡り1里,中津川・落合両宿の助郷村。応神天皇をまつる。瀬戸中平神社の創建年月は不詳。延享元年,坂下村の庄屋が瀬戸より坂下に至る道に清水を掘り,地蔵(横引地蔵)を建立する。利右衛様と称し,中風等に霊験があるといわれる墓石がある。明治4年岐阜県に所属。同5年の村明細帳による村高108石余,戸数47戸・人口295人。渡船所1か所がある。農間は男女とも山稼ぎ,職人5人も農間の稼ぎ。明治6年中平神社拝殿で報国義校が開校。同校は同26年瀬戸尋常小学校となる。明治7年上地【うえじ】村を合併。同8年の戸口123戸・690人。明治22年苗木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344955
最終更新日:2009-03-01




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