ケータイ辞書JLogosロゴ 曽我部郷(中世)


岐阜県>岐阜市

 南北朝期から見える郷名。美濃国方県郡のうち。現愛知県名古屋市の宝生院所蔵の「金剛頂経開題」に「応安六年九月二日,変更於濃州曽我部郷浄瑠璃院之常経也」とあるのが初見。織豊期に入り,織田信孝は天正11年正月付で「そかや長願寺」に禁制を下し,次いで関ケ原の戦直前の慶長5年9月2日には福島正則・池田照政連署禁制が「かたゝゝこうりのうち,そかや村」に出されている(超宗寺文書)。なお,「尊卑分脈」は利仁将軍の裔孫で坂戸判官藤原則明の子,妙見堂別当能秀を「住美乃国蘇合郷」と記す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7344987
最終更新日:2009-03-01




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