ケータイ辞書JLogosロゴ 高屋村(近世)


岐阜県>北方町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国本巣郡のうち。はじめ加納藩領,宝暦5年から幕府領大垣藩預り地,享和3年からは磐城平藩領。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」1,709石余,延宝8年1,143石余,明和8年1,127石余,「天保郷帳」では1,141石余,明治2年1,114石余(村明細帳)。これは糸貫川の氾濫で川欠引となった地が多いため。真桑用水系に属し糸貫川には用水圦6か所,埋樋1か所を設けて取水。戸口は享保14年151軒(うち本百姓100・水呑百姓51)・644人,明和8年152軒・614人,明治2年104軒・471人(北方町史)。中山道に近く美江寺宿〜河渡【ごうど】宿間の往還掃除や河渡宿の加助郷を分担。享保13年紀州公通行時には,馬100匹・人足200人を出した(馬場文書)。宝暦6年加助郷を廃止。明治4年岐阜県に所属。同14年の戸数113・人口544(町村略誌)。同24年濃尾地震の被害では113戸すべてが全壊(震災誌附1)。同30年生津【なまづ】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345108
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ