ケータイ辞書JLogosロゴ 只越郷(中世)


岐阜県>穂積町

 鎌倉期から見える郷名。美濃国本巣郡船木荘のうち。船木荘は,もと高階肥後入道寂法の先祖相伝の私領であったが,嘉応年中に本家職を山城法勝寺に寄進し,領家職は郷単位に分けて7人の子女に相伝させた。7か郷のうち,当郷は娘の高階氏に譲られ,その後,その長女藤原信子(菅原良盛室),次いでその子菅原資高に伝えた。ところが元久元年に居宅とともに当郷に関する相伝文書を焼失したため,資高は紛失状を作成し本家の法勝寺政所の下文を請けている。その同年3月10日付の紛失状案に「当庄内東方只越郷」とあるのが初見で,翌2年11月9日付で長男為俊に譲与するが,田畠所当の半分を徴収する権利を与えたにすぎず,残る半分と雑公事は資高が進退した。次いで正嘉元年12月7日覚俊(為俊の子か)が静全に当郷領家職を譲与した。鎌倉末期から南北朝内乱期にかけて,嫡子経意と二男盛祐法眼との間で領家職保有の相論が起こるが,帰趨は明らかでない(壬生文書)。戦国末期斎藤氏の臣安藤伊賀守の支配を受け,のち稲葉一鉄,寺西備中守の支配を受けた(本巣郡志)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345185
最終更新日:2009-03-01




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