ケータイ辞書JLogosロゴ 谷口村(近世)


岐阜県>武芸川町

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国武儀郡のうち。枝郷に寺尾・森本がある。はじめ幕府領,元和5年からは尾張藩領。村高は「慶長郷牒」467石余,「正保郷帳」「天保郷帳」507石余。宝暦6年の戸数133・人口832(濃陽志略)。「濃州徇行記」によると戸数192・人口945。枝村寺尾は77石余・戸数50戸,森本は20戸。神社は元禄13年に粟穴社・桶森社・宇治社・瘤樫社・石原社・東宮社・辰巳社の神明の7祠を合祀した七社神社。他に大明神2祠・白山社2祠・天神祠・剣大明神祠があり,寺尾には神明祠・大明神祠・白山祠があった。また薬師堂2宇・普賢堂・地蔵堂・毘沙門堂・十王堂がある。寺院は臨済宗京都妙心寺派の乾徳山汾陽寺・松雲山法泉寺・竜宝山持正菴。当村は春日局の移住地。寺尾山からは砥石・紫硯石・箭竹等を産出(新撰美濃志)。農業のほかに障子紙・森下紙・板張紙を漉き岐阜へ売り出し,約金1,040両を商う(濃州徇行記)。明治元年新助郷は中山道太田宿へ出役。明治4年岐阜県に所属。同5年の戸数280・人口1,499(村鑑)。同14年の戸数327・人口1,748,米846石余・大麦1,215石余・小麦112石余・雑穀505石余・蔬菜32万1,400斤・生糸337斤半・繭6,989斤を生産。明治22年東武芸【ひがしむげ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345217
最終更新日:2009-03-01




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