ケータイ辞書JLogosロゴ 谷汲村(近世)


岐阜県>谷汲村

 江戸期〜明治8年の村名。大野郡のうち。慶長15年幕府は谷汲村のうち10石を華厳寺に寄進(華厳寺文書)。当村ははじめ織田長孝領,のち大垣藩領。村高は「慶長郷牒」56石余,「正保郷帳」では村高96石余(うち観音領40石・戸田左門領56石余),「天保郷帳」97石余。元禄15年の検地では田5畝・畑5町5反余で畑方中心の村落。寺領分の戸口は正徳5年23戸・84人,安永8年13戸・54人,明治3年12戸・57人。村落付近にある牧野十三塚は,華厳寺の観音開帳の能を見物に来たところを長井孫九郎に討ちとられた反織田方の地侍13人の塚と伝える(新撰美濃志)。明治4年岐阜県に所属。同7年の反別は田28町余・畑6町余(揖斐郡志)。同8年結城【ゆうき】村と合併,徳積【とくづみ】村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345220
最終更新日:2009-03-01




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