ケータイ辞書JLogosロゴ 玉村保(中世)


岐阜県>関ケ原町

 南北朝期から見える保名。美濃国不破【ふわ】郡のうち。「師守記」貞治3年8月11日条に「仍寮領美濃国玉村保并莚田保」とあるのが初見。当保がいつから大炊寮領となったかは不明。「康富記」宝徳元年8月8日条によると,大炊寮領の「玉村・席田事」について未だ守護が遵行しない旨の記事が見え,遵行の具体的内容は不明だが年貢未進に関する争論が起こったのであろうか。その後,当保は守護土岐頼益から相国寺玉竜庵に寄進されたが,延徳3年には「当土岐押領,彼在所于今不去渡」の状態となっていた(蔭涼軒日録)。織豊期に入り,羽柴秀吉は天正11年11月13日稲葉一鉄と池田恒興の所領争いを裁許し,「玉村」を一鉄領として宛行っている(豊後臼杵稲葉文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345233
最終更新日:2009-03-01




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