ケータイ辞書JLogosロゴ 中呂郷(中世)


岐阜県>萩原町

 鎌倉期から見える郷名。飛騨国益田郡のうち。金山【かなやま】町祖師野八幡神社所蔵の元応2年の大般若経奥書に「於飛州益田郡中呂郷真乗寺書写畢 金資」,あるいは「於飛州益田郡中呂真乗寺書写畢 執筆金資信慶」とあり,同じく元亨2年12月11日金資信慶執筆の大般若経奥書では「於飛騨国萩原郷中呂真乗(寺脱)書写畢」とある。当地の臨済宗妙心寺派竜沢山禅昌寺は,恵心源信の開創と伝える。永和年中大雄山円通寺と号し後円融天皇の勅願所となっていたが,その後兵火で廃寺,享禄元年桜洞【さくらぼら】の城主三木直頼が同氏の菩提寺として再興した。歴代高僧が住持となったが,同寺に残る明叔慶浚等諸僧の法語雑録には「萩原郷中櫓村」「萩原中呂村」等と見え,同じく応永2年の大般若経奥書にも「萩原郷中櫓村」とある。江戸期には中呂村と別に中呂郷という広域称が存在するが,中呂郷は野上・羽根・跡津3か村の総称であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345283
最終更新日:2009-03-01




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