ケータイ辞書JLogosロゴ 角川村(中世)


岐阜県>河合村

 鎌倉期から見える村名。飛騨国吉城【よしき】郡のうち。吉城郡上宝村永昌寺の大般若経奥書に,「当州於吉城郡角川村大願大徳良通昔嘉暦元奉卯月晦日」と見えるのが初見。室町末期には当地方にも一向宗の教線が延び,吉城郡には主に聞名寺の末寺門徒が広がったが,天正13年金森長近が飛騨へ進駐するに及び,一向宗勢力は金森氏に屈服した。こうした情勢がうかがえる飛騨の大坊主4人の連署になる天正14年9月27日付の起請文が「聞名寺文書」中に残されている。同起請文は,聞名寺の末寺門徒が聞名寺と共謀して事を起こさない旨を金森氏に誓ったものであるが,その連署者の1人は「よしきの郡角河」の善照であった。なお,聞名寺は照蓮寺と並ぶ飛騨一向宗の中心であり,当初飛騨高原郷吉田(神岡町)にあったが,室町末期に越中国婦負【ねい】郡に進出,天文20年最終的に婦負郡八尾【やつお】(富山県)を寺地とした。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345323
最終更新日:2009-03-01




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